Others (written in Japanese only)

「死」についての考察 vol.1

更新日:

最近、自分の「死」を意識するようになり、色々考察したので雑記してみます。
あくまで私が考えたことですが、何かの参考になれば幸いです。

※「死」を考えるようになったきっかけは、20代後半にさしかかり平均寿命の1/3を超えたため、「いつか必ず自分の『死』が来ること」を今まで以上に実感するようになったためです。
 
※表題でvol.1としてますが、vol.2を作るかはわかりません^^; ただ、ここで記した考え方は、今後の人生の中で変わってくるだろうと思っています。その際は(vol.2を作るか、vol.1を更新するか等して)アップデートすること想定しています。
 

【目次】
■「死ぬ」のは怖いか
■死ぬ直前について
■人生の目標
■その他(自分以外の死、時間)
■結論:「死」へのポジティブな対処

 
 
■「死ぬ」のは怖いか
○怖いと思う時もあるし、怖くないと思う時もある。

○怖いと思う一番の理由は、「一度死んだら、二度とこの意識は持てないだろう」から。
→現在の筆者の意識を作り上げている物質組成が同じ形で組まれることはきっと無いだろう。
→仮に時間が無限に続くとすれば、奇跡的に再現する可能性もあるが、結局別個体のものだろうし、以前(=現世)の記憶を有してはいないだろう。
→つまり、「もう自分として覚醒することがない」ということに恐れを抱いているのだ。
→でも、「二度と覚醒することが無いとして、何か問題でも?」と言われたら、いまいち反論できない。「一度死んだら二度と覚醒しない」ので、そのこと自体を残念だと思うことも無いだろうからである。

○怖くないと思う一番の理由は、後述の「■結論:「死」へのポジティブな対処 > ○「死」は究極の幸せ理論」を参照

○以下も参考になるかもしれません。
「死ぬのが怖い」とはどういうことか(前野隆司/著)の感想
 
 
■死ぬ直前について
○死ぬ瞬間:痛くないか、苦しくないか
→痛い・苦しいのは嫌だが、普通は自分で死因を選択できないので、諦めるしかないかと。
→でも、痛さ・苦しさを意識せぬままポックリ逝くこともあり得るだろう。
私は昔意識がなくなったことがあるが(友人曰く、遊んでいて頭を打ったらしい)、起きた時は頭を打つ直前の記憶が無かった。
あの時、打ちどころが悪くそのまま死んでいたら、死ぬ痛みすら感じなかったはずだ。と思っている。
 
○死ぬ瞬間:怖くないか
→「死」の定義からすると、死ぬ瞬間は意識できないはずだから、「死ぬ瞬間に何が起きるか」もあまり怖くないかな。
→というより、自分の意識の中では「死」は絶対に訪れないことになる。
→とんちみたいだが、「死を恐れているうちは死なない。」

○死ぬまでの期間が、明確にわかった場合
若くして末期の病気になり、「余命○日です」とか言われたら、気が動転すると思う。
→よく考えてみると、平均寿命まで生きれる保証は元々ないし、人生の期限が決まったところで「それまでにどうしてもやりたいことあんの?」と聞かれたら明確にYesでは無い(すぐ下の「■人生の目標」参照)。
→ただ、やはり「余命○日です」とは言われたくないのが本音。
 

 
■人生の目標
○やりたいこと・やるべきこと あるか?
→どうしてもっていう程のことは無い。
→できればって言うのであれば、「天の川をこの目で見たい」とか「ピアノであの曲弾きたい」とかはある。

○生きることの意味
→(全ての人に共通した)意味はなさそう。個々人が自分で見つけていくべきもののようだ。
→これは、様々な哲学者(ニーチェ、サルトル etc)の著書を調べてみた感想でもある。
→個人的には、「子供を生むまでは遺伝子をリレーする役割を有している」と言えなくもないと考えている。
 
 
■その他(自分以外の死、時間)
○自分以外の死
親がいつか死ぬこととかを想像すると、自分が死ぬことより肉親の死の方が嫌かもしれない。自分が死ぬことで、親の命が助かるような状況に出くわしたら、「自分を犠牲にしても…」という気持ちが無いことはない。
→また別の観点だが、死ぬ間際に「自分より先に逝った大切な人」のことを思い浮かべると、「あの人と同じことになるだけ」と思え、気持ちが落ち着くのかもしれない。

○時間が経つのが早い
・1日1日がどんどん過ぎていき、「死」に近づいていることを思うとやるせない気持ちになる(だからといって、人生の間にこれをしたいという大目標が無いのは上述の通り)。
・たぶん死ぬ間際には、人生が一瞬だったなと感じてしまうんだろうね。
→ちなみにこれは、人間の「思い出す能力」が優秀すぎて、遠い過去のことも時間をかけずに思い出せるから、そう感じているだけかもしれない。
→以下が参考になるかもしれません。

 
 
■結論:「死」へのポジティブな対処 
○「死」は究極の幸せ理論
死ぬことは実は究極の幸せなのかもと、最近考えるようになってきている
→理由は、「生き続けるのが一番地獄」だと思ったから。
→例えば今の人間の感性のまま不老不死の体を手に入れた場合、退屈極まりなくて「死にたい」と感じるだろう(人類が繁栄している期間はまだ良いが、人類絶滅後は宇宙の天体現象くらいしか観測できないのかと思うと)。
→そう考えると、いつか必ず死ねるのは幸せとも言える。

○ニヒリズムで生きても楽しくないし、生きていけない。
→「どうせ死ぬのに、なんで一生懸命生きるのか」「いつか人類絶滅するのに、なんで社会の発展に貢献せねばならんのか」とかいう議論はあるし、正しい意見だとも思う。
→そうは言っても、その思想(ニヒリズム的)で生きても何も楽しくないのだ。そんなことばっかり言ってると、暗くなって周りに人はよってこないし、会社で仕事をしなければある程度自分にも被害が及ぶのである。

○あと、どうせ死ぬからと言って何もしない人生というのは、単純に私は「嫌い」(楽しくないから?)なんだと思う。

○(自分がある程度どうにかできる)自分の人生において、「死」の瞬間は絶対に訪れないと言える(上述の「■死ぬ直前について > ○死ぬ瞬間:怖くないか」を参照)。
→そもそも自分のコントロール配下に全くない「死」に対して恐れ考えすぎ、「未だ死んでいない」人生をおろそかにするのも、変な気がし始めている。
 

以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。

 

(日本語) kanren_kijishita

(日本語)

-Others (written in Japanese only)

Copyright© Zenkai Blog , 2021 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.